しんどい場所はとっとと離れたほうが良い、という結論にたどり着いた話
今日から9月ですね。
ラジオからは安定のSeptemberが流れ、怒涛の夏休みも終わり、一区切りの9月。
(自分的にはまだ区切りはついてないんだよね~、長男の夏休みはまだ終わってないし、まだまだパートの繁忙期は続くし…)
ま、それは置いといて。
自分の末の子供が小学生を卒業し、やっと子育ても一段落ついて、一呼吸。
そしたらなんか、今までの人生を俯瞰して見ることが出来るようになった・・・気がする。
自分の子供の頃から最近まで。
気持ちに余裕が生まれたせいでしょうか。(それくらい、子育てには気を張ってたからなあ・・・)
そこでちょいちょい、思うことあり、ブログに書こうと思った次第でして。
今朝、ふと思ったこと。
自分にとってしんどい場所、しんどい人からは、とっとと離れたほうが良い。という事。
自分は子供の頃から、…まあ、ADHD持ちというのもかなり大きなウエイトを占めていると思うけど、
しんどいなあこの場所、この人たち苦手だなあ、という件が多かったように思う。
(しんどいっても、ここで言うしんどいという意味合いは、いじめのような深刻な犯罪ではなく、やたらイジられる、とか、なんかイライラする事言われる、とか、そういう感じの事です。ご了承ください。)
いろいろ傷つき、がっかりな思いもしました。みんな多かれ少なかれあるよね、そういう事。
(まあ自分の周りの人たちもそれ以上に私にがっかりしてるだろう、と思う)(人の事は言えんのは重々承知)
ただ、自分の場合、「根性論」(出た)というのが底辺にあって、
「苦手でもしんどくても、最後までやり通すんだ!それが美学!」
という、謎の一本軸で今までやってきて。やり通すことに意義がある、と思っていました。(昭和あるある)
もちろん、それは今でも、場合によっちゃあいい事だと思うし、ほんと「時と場合による」で何とも言えんのだけど。
ただね。
心が傷ついたり、しんどいなあ、と思うことがたとえ小さくても、その感情は澱(おり)のように積もり、たまってゆく。その場所にとどまっている限り。
そして、時がたってその場所を離れて、やれやれやっと離れることが出来た、と思っても、
「傷ついた思い、しんどかった記憶」というのは、いつまでも心の中に残り続けます!何年たっても!
だから、今現在しんどい場所・しんどい人間のそばにいる人、ソッコーで離れることをおすすめします。
無理だよ、という状況にある人も絶対いると思う。そんな時は。
「自分は不愉快だ。嫌な思いをしている。やめろ。」と、はっきり声に出して言いましょう。
自分の意思を相手に伝える事は、とても重要な事です。
相手は分かってないからね。こっちの気持ちを想像する事なんかしてないから。
ていうかひどい物言いの人は、「相手の気持ちを考えましょう」という概念はハナから持ち合わせてません。
自分の事のみです。
そして。自分が今、思うこと。
根性論、クソ。
…エラそうに人生訓みたいな事を書き連ねましたが、経験談として読んでいただければ、と思います。
まとめ。
・いやな思いした記憶は、なかなか消えないで困るよ。意外と頑固だよ。
・だから嫌な場所にいる人・嫌な奴が周りにいる人は、そこから超最速で離れようね。
せっかくの人生、楽しく過ごさなきゃ損だよ。
コロナ禍で、いつ何時、人生に終止符が来るかもしれない危機的状況の中、というのもあり、
ガマンガマンの人生よりも、いかに濃厚で楽しく笑いに満ち溢れた人生を送るか、の方が絶対楽しい。と思うのです。
今日から9月。学校が始まります。学生さん、若い方、くれぐれも無理しないようにね。