ADHD、自分の場合について
ADHDという言葉に出会ったのは、まだ子どもたちが小さかった時、子育てでヒーヒー言ってた時だった。
男二人、しかもちょろちょろ落ち着きがなく、危ないことばっかりして、もう毎日が綱渡り状態。もともと体力無いので、ふらふら。
もともと苦手だった家事、、特に掃除や片付け、、など、出来る気力もなく、
とにかくその日暮らしに必死。ご飯を作って食べさせて、夜は寝かしつけて、
そのうち酷い物忘れに悩まされるようになった。
幼稚園の大事な手続きの日をすっぽかす、いつも使っているカードの暗証番号をど忘れする、いつも通ってた近道を忘れる・・・。
ダンナが見るに見かねて、
「こんなに物忘れをするのは異常だ、これはきっと重大な脳の病気に違いない、病院に行け!!!」
というので、ついに病院に行くことになったのだった…。
病院探し~物忘れの病院て、どこ行きゃいいの?~
ところが!物忘れの病院なんか、何科に行けばいいのかさっぱり分からない。
悩んだ挙句、市が発行している広報紙の健康相談に電話してみた。
「物忘れで困ってるんですが、かかる病院が分からない」と伝えた。
脳神経外科あたりを進められるのかと思いきや、職員の答えは意外だった。
「児童発達支援センターに行ってください。そこで担当職員がくわしく相談に乗ります。」
当時、ADHDや発達障害という言葉はメジャーではなかった時代。
頭の中は「?????」でいっぱいだった。
発達支援センターから心療内科に行ってみる
初めて行く児童発達支援センターは、自然がいっぱい、山の中にあって、建物は平屋でとても広く、木がふんだんに使われていて、とても落ち着く場所だった。子どもたちの元気な声が聞こえていた。
玄関は二重施錠で、入ったらすぐに鍵をかけて、厳重にしていた。
「我が家にもこの二重施錠ほしいよ~!!」心からそう思った。
うちの次男…2~3歳ぐらいだったか…がすぐに玄関のカギを開けて出て行ってしまってたから、おちおち昼寝もできない毎日だった。(疲れてよく寝落ちしてたのだ)カギは手が届かないもんだから、ダイニングの椅子を玄関まで持って行って開けるのだ、だから我が家はテーブルと椅子をヒモでくくりつけていたっけ・・・。来訪者はヒモを見てびっくりして、何でこんな使い勝手悪い事してんの?て言われたけど、切実なんだよな。使い勝手より子ども優先。
話がそれてしまった・・・。支援センターで、困っていることを細かく話した。
その職員さんから、ADHDという発達障害の可能性が大きい、という事を聞いた。
ああ、なるほど。そういう事か。発達障害か。脳の病気ではなかった。やれやれ。
原因がはっきりしたので、正直ほっとした。気分が落ち着いた。
診断はやっぱり医師の判断なので、心療内科に行ってくださいと言われた。
「病院!?」正直ビビった。病院あんまし好きじゃない。
でも、行けと言われたし行かねばなあ、ということで、紹介された心療内科に行くことにした。
初めて行く心療内科は、児童支援センターに似て、緑いっぱい、木がふんだんに使われてる、落ち着きのある雰囲気で、病院っぽい雰囲気はまったくなかった。
そこで先生に症状を伝えたら、薬を出してくれた。そして、診断には検査を受けなければならず、(筆記テストみたいなもん)二日間もかかる上に、2~3カ月待ち状態だそうだ。
その日、検査予約を入れて、薬をもらって帰った。
薬を飲んで、その後・・・
もらった薬、これを飲んだら物忘れが治るのか、しめしめ。
嬉々として薬をスタートさせた。
と こ ろ が・・・
効かない。一向に物忘れが治る気配がない。えぇ~!?何で!?薬飲んでるのに何で???
どうしたものか。
先生の言葉を思い出してみた。
「最初は軽いのからスタートさせて、症状を見て、量を調節していくよ。」
なんか、急に怖くなった。
え、これ、薬を強いものに変えて、一生飲まなくちゃいけんの?それ、病院と家とを行き来して?1時間もかかるのに?
でも薬の事より、検査の事で大問題が起きるのだった。
ADHD検査に大反対される
ダンナにADHDの事を伝えると、やっぱり「ADHD???なにそれ」という感じで、とりあえず病気ではない事を伝えるとほっとした様子だった。
しかし、発達障害の一種であること、検査を受けて診断が下される事を伝えると、検査は受けるな、と大反対。
自分は症状をはっきりさせたいと思っていたので、ダンナの反対には意外だった。
理由を聞くと、「自分の嫁が障がいをもつなんて嫌だ。」と。
は???
発達「障がい」という言葉に、ものすごい拒否感があるらしい。
障がいって、もって生まれたモンだから、しょうがねーじゃねーか。障がいは、そんなに受け入れがたいものなのか?
障がい者という枠があって、その中に入ってしまう、そんな感覚らしい。
障がいって人それぞれなんだけども。個性っていうか・・・。
(この手の話は賛否両論あるだろうけど、自分の身の上話で自分が感じた事なので、思った通りに記述する。不快に思った方は申し訳ありません。)
反対するのはダンナだけではなかった。私の母も大反対。
あんたに障がいはない、障がいを持った子は産んでない、と。
ええ~、そんな感覚!?
まさか、周囲にこんなに反対されるとは思わなかった。物忘れの症状がこんなに周りをざわつかせるとは、夢にも思わなかった。
なんか、、、確かに物忘れはひどい、家事もうまくできない、だけど、自分の中ではこんなに親を心配させてしまっている事の方が、心が痛んだ。
ADHDだという事は、診断が下りてはないけどわかった。だから勉強して対処の仕方を学ぶことができる。そして、、、薬を取りに行くのが、めんどくさい。とても、めんどくさい!!!!!
もう一度言う、めんどくさいんだ!!
「めんどくさい」………ADHDである自分にとってもはや最大の敵とも言える、「めんどくさい」という感情。これに「疲れ」「物忘れ」がからんでくるから、やっかいになるんだよなあ。まあ、それはおいといて。
結局、検査をキャンセル
実際ここまで大騒ぎになるとは思わなかったので、考えて結局、検査をキャンセル、薬も取りに行かず、今に至る・・・。
だから、「私は ADHD 」ではなく、「ADHDタイプの人間」、て事にした。診断は下りてないから断言できないもんね。
それから10数年、数々の失敗を繰り返し、色々あったけど、今も変わらず幸せに暮らしている。メシが食えて家族が普通に暮らしていけるのなら、幸せだ。パートもして働いてる。極力、人とかかわりがない、かかわっても少人数の、清掃の仕事。これはラッキーな仕事に就けたと思っている。だから家の掃除も少しはましになった。物忘れは相変わらずだけど。
その間、いろいろ失敗しない方法も考えたりした。その方法は少しずつブログに書いていこうと思う。私と同じような失敗を繰り返して、困ってる人の参考になれば、こんな嬉しいことはない。